佐野元春とCCCD
CCCD。
音楽が好きな者にとっては、暗黒の時代を思い出させる、今でも大嫌いな言葉だ。
2003年頃、日本の大手レコード会社は次々にCCCDを導入していった。
リスナーに手軽に音源をコピーされる事を嫌い、データの中に異物を混入させることでコビー出来なくするような仕組みのCCCD。
しかし、それはCDの規格を満たすものではなく、音質は劣化していて、再生装置に不具合が発生してもなんの責任も負わないだけでなく、リスナーから音楽を楽しむ自由を奪う欠陥商品であった。
僕も、初めは、仕方ないのかな、そういう時代の流れなのかなと思い、CCCDを買ったこともあったが、2枚買ったところで、少し勉強して、CCCDはとんでもないものだと認識。
それ以来CCCDは拒否。
当時運営していたホームページでも反対の意を示した。
しかし、レコード会社の横暴はとどまることをしらず、 レコード会社の方針には逆らえず、多くのアーティストがCCCDを導入。
山下達郎みたいに、「そんなもの導入するはずがない」と強く表明してくれてた人もいたけれど、 中には、喜んで導入してたアーティストもいたし、CCCDの問題なんてほとんど考えることもしてなかったアーティストもいた。
CCCDはどんどん侵食していった。
これはレコード会社によっても多少、温度差はあったけれど。
所属アーティストの作品はすべてCCCDにしていくと、きつく縛ったところもあれば、割と緩かったところもある。
avexなんかはCCCD導入の急先鋒で、その後も、ソニーや東芝EMIなど、大手が続いていった。
ソニーの奥田民生は、初めはCCCDに懸念を示していて、会社と話し合ったと報道が出て、民生、がんばれ!と思ったのだけれど、結局、会社に懐柔された。
CCCDに反対していたアーティストの中には、映像データを入れたCD-EXTRA仕様にして、CCCDを回避していた人たちもいる。
じゃあ、みんなそうしてくれよと思ったものだが、それは一部にとどまった。
各アーティストがCCCDに対してどう思ってるのかが、当時の僕の最大の関心事。
好きなアーティストがCCCDを導入した時は、それはもうガッカリで。
CCCDでのリリースということで、購入を諦めたアーティスト、作品は数知れない。
もう大好きなアーティストの新作は聴くことは出来ないのか、諦めるしかないのかと、どんどん目の前に暗雲が立ち込め、音楽に希望が持てなくなっていった。
とにかく、この頃は、聴きたい!欲しい!と思った作品が、まずCCCDではないかを確認しなければならなかったし、CCCDだったら諦めなければならないという、なんとも面倒で不自由な時代だった。
もっとも、リスナーの側も、CCCDの事など、まるで知らずに普通に買い続けてた人も多かったという問題もある。
ただ、そんな暗黒のCCCDの時代は4年ほどで終わった。
その1番の理由はわからない。
CCCDにしたことで、リスナーの反発を食らい、かえって売り上げを減らしたこと。
通常のCDだって、売れるものは売れるということ。
iPodなどの普及で、音楽を聴く形が変わってきてたこと。
CCCDだってコピーできる裏技とのいたちごっこ。
いろいろ理由はあったんだろうが、結局、メリットよりもデメリットの方が目立つようになり、雪崩を打つように、各社がCCCDから撤退していった。
その頃の、ようやくまた音楽に希望を持って接することが出来るようになった、晴れやかな気持ちは忘れられない。
このCCCD問題。
山下達郎のように強い信念を貫き通せる人は僅かで、若手のアーティストほど、生活のためにもレコード会社の言うなりになるしかなかったんだとは思う。
縛りの緩かったレコード会社に所属していたことで、CCCDを出さずに済んだ、運のいいアーティストもいたことだろう。
多くの大物アーティストたちが強くCCCDに反対してくれてれば良かったのだけれど、態度を明らかにしなかったアーティストも多く、サザンやユーミンやミスチルなどが、この頃CCCDについてどう思ってたのか、寡聞にして知らない。
ただ、CCCD推進という会社の方針に納得せず、レコード会社から飛び出す選択をしたアーティストはほとんどいないだろう。
みんな生活がある。そんなリスクの大きなことまでは出来ない。
それが普通だ。
しかし、それをやっていたアーティストがいたことを後で知った。
佐野元春だ。
2003年「君の魂 大事な魂」、04年「月夜を行け」のシングルをCCCDでリリースした佐野さん。
会社とは契約があるから、ひとまずそうせざるを得なかったのだろう。
しかし、佐野さんにとって、CCCDが大きな問題を抱えているのは明らかで、このままレコード会社の方針に従っていくのは、自分の意に反しているし、ファンを裏切る行為でもあると思ったのだろう。
20年以上所属していたEPICソニーを飛び出し、独立レーベルを立ち上げた。
そして、前述の「君の魂 大事な魂」「月夜を行け」を含んだアルバム『THE SUN』をそこからリリースした。
ソニーとの契約期間はどうなっていたのか、既にリリースしていたシングルの版権はどうなっていたのか、そんな簡単に飛び出すことが出来たのか、など僕には知りえない疑問はたくさんあるのだけれど、とにかく佐野さんは決断し、行動した。
これこそが佐野元春の生き方だと思う。
当時はそんな佐野さんのことを知らなかったのだけれど、こうやってCCCD問題に抗って、行動してくれてたことを知って嬉しくなった。
佐野さんを誇らしく思うし、ファンになって良かったなと心から思う。
そんな佐野さんだからこそ、その信念が音楽に現れるんだろうし、好きになったのは必然なのだなと。
そのCCCD問題からも20年近くが経ち、佐野さんのレーベルは再びソニーと契約を結んだ。
会社の方針に従えないとの理由で飛び出したのに、また円満に古巣に帰ってくることが出来た。
ここにも、佐野さんの人柄が表れてると思う。
当時の佐野さんの抱えていた思いと行動に共感していた人が、会社の内部にも多くいたということだ。
佐野さんを裏切り者だと思った人は1人もいなかったのではないか。
その信念と行動力は尊敬され、時を経ても多くの人を動かす。
佐野元春はやはり、人生の指針になる。
(2024.10.1)
佐野元春の表現
佐野元春。やはり人生の師だ。
「1 伝えて 10 理解してもらえる表現はないかなあ」なんて、ときどき考えてたけど、浅はかだった。
佐野さんは「8 伝えて 12 感じてもらう表現」を目指してるそうだ。
伝える努力と、相手に委ねる信頼の絶妙なバランスで、最良の結果が出るような、粋な考え方だ。
(2024.6.3)
佐野元春 声の不調を乗り越えて
やはり、僕が思ってた通り、90年代後半~2000年代前半、佐野さんの声が不調だったのは事実で、ファンもそれを感じとっていた。
実は僕が初めて佐野さんを生で観たのは2003年のイベント。まだファンになるずっと前で、生で歌を聴いてみて、なんか思ってたほどたいしたことはなかったな、というのが正直な感想だった。
それも、声が不調だった時期だと知れば納得がいく。
おそらくプライベートでいろいろあって、メンタル面から声が出なくなっていったのではないかと推測されるんだけど、佐野さんのすごいのは、そこで休養とか、活動休止を選択せず、ライヴも行って、声の不調と戦う姿、もがく姿をファンに見せ続けたこと。
ライヴ映像作品もリリースして、その時のことを黒歴史にしなかった。
そんなことをしたら、かえってファン離れを起こしてしまう可能性すらあったのに。
アーティストは作品を発表してこそ、ライヴを行なってこそ、ファンの期待に応えられるものだという思いがあったのかもしれない。
そしてもがき続けること数年。
何がきっかけだったのか、何が良かったのかはわからないけれど、新たな歌唱法を体得して、徐々に声を取り戻していく。
そこには、大きな不安があっただろうし、それを乗り越えるための努力は想像を絶するものがあったかもしれない。
しかし、2000年代後半、若い世代のメンバーと組んだコヨーテ・バンドを得て、かつての輝きが戻ってきたのだ。
そしてコヨーテと共に歩み続けて、更なる深化をとげ、今の佐野さんは最強のヴォーカル・スタイルを確立している。
もちろん、年齢的な衰えがまったくないと言えば嘘になるけれど、でも、かつての不調だった時を思えば、信じられないくらい声が出ている。
ライヴでは、いつもオーディエンスを唸らせるヴォーカルを聴かせている。
そして、今、アーティスト・佐野元春として何度目かのピークを迎えている。
この復活のストーリーを思うと泣けてくる。
よくぞ、よくぞ戻ってきてくれた。
さすが佐野元春だ。
戦い続けた佐野さんを僕らは知っている。
そこが、尊敬してやまないアーティストたる所以だ。
(2024.4.30)
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